2024.5.28

オオジノの遥拝所こと宇都宮市上戸祭町で進めてきた住宅が竣工しました。建築設計室わたなべの担当は神野さん、構造設計はムー建築設計の宇賀神さん、施工は有限会社栃東、そして6月から脇本グリーンの脇本さんと外構を整えていきます

2023.10.18


昨日は関東学院大での講義を経て磯子に一泊、今朝から公共建築物の修繕計画策定のための調査業務で木更津に来ている。
海は直視できないが向こうを眺める人やあちらから吹く生ぬるい風、停泊する船をつうじて海が見える、
夕食の寿司屋は昼間、調査先の担当者に教えてもらったおすすめの店だ。
味は普通だったが、地元民情報という場当たり的な小旅行という体験が美味いんだろう。

2023.10.16


2年かもう3年ちかくになるか、
物件探しの伴走からはじまったCenterの改修工事は、一期、二期、三期工事と工区を重ねてようやく最終工区、浴室の工事が完了した。
予算の都合もあって解体を最小限にする、という意識は、あらわれたコンクリートや鉄骨、アルミサッシといった一見時間健忘的な材料を
時間装置としてポジティブにインテリアに活かすというつくり方が選ばれ、それはリノベーションは「発掘」行為であるという体感にもつながった。
簡易に更新可能な内装材とその留め方、必要な防水処置を押さえることでユニットバスに頼らずローコストに自由な浴室をつくれることも嬉しい経験だった。

Center

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2023.10.14


オオジノの遥拝所こと上戸祭の住宅改修、施主と現場の進捗を確認、
仕上げ材の解体が済んで全体の骨組みが見えるようになっている、細かな間仕切りがなくなって光が奥まで届くようになった。
道路からのメインアプローチでもある建物の北東部、もともと台所だっただいたい四畳半程度のスペースの減築はまだ未着手、
ここが外部化されればさらに室内は明るくなるだろうし、施主もそう期待している様子だった。
浴室の壁は2階床まで立ち上がるコンクリートブロックで大工はその解体に苦労していたが
新たに土間化するキッチンの土間コンの充填砕石下地として再利用してよいとわかるとああよかった産廃の手間が省けた、
これで山の木が切られずに済んだねと冗談を言っている
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2023.7.11


栃木市の大正期創業の老舗料亭の一部を、地域の文化発信を担う地域拠点としての旅館に改修したプロジェクト・仲乃家をウェブサイトにアップしました。

共同設計:antelope/アンテロープ一級建築士事務所
写真:千葉顕弥
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2023.7.8


群馬県前橋市における、代々この地に暮らす家族の住み継ぎプロジェクト・
農家住宅の不時着/ハイブリッジプロジェクトの写真をウェブサイトにアップしました。

共同設計:伊藤孝仁+渡邉貴明+吉田葵+堀江欣司+高橋卓/ハイブリッジプロジェクト
写真:新建築社 写真部
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2023.7.1


廃墟以上空き家未満の、かろうじて残る彼らの生活
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2023.6.30


以前はもう少し、足場が整っていて親水できた気がするけれども、
だいぶ自然の沢に戻った感じ、ミョウガが群生している
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2023.6.29


ビニールハウスジョイントの結び目に残る、手で縛ったその跡
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2023.6.28


沢水の洗い場、往時は野菜や農道具を洗ったり、果物を冷やしたりした。
30年ちかく経ってだいぶ荒れてしまったが、人と自然の接着面としての骨格は残っている。

荒れて、と書いたが、人と自然軸で言えば、自然に戻りつつあるのだな、
再生、つまりもう少し人側に寄せ戻すことはできそうな感じである。
この洗い場は、個人的に一番具体的な記憶が残る場所である。

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2023.6.26


先代が住んだ地だからという縁故性は置いておいたとしても
ここは案外、いや結構いい線いくんじゃないか、というその気が沸いてくる感じはある
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2023.5.2


祖父母を失ったこの家は15年でこの具合で済んでいるのはまだ幸運か、
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2023.4.30


越してきてから会えたのは2回目、今年は池周りに毎日会えている
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2023.4.27


四万十のある一つの沈下橋に並行する二つの世界、
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2023.2.15


内子の宿で見たこれは吊り梁とでもいうんだろうか、障子の上を外に貫通して出し桁を支えていた

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2023.2.12


どちらかというとシャイで、(家族以外の)誰かに心のままを話そうという気は殆ど起こらないほうだが
今日は、とか、この人には話せそうだな、という日がやってくることもあるんだなという夜だった.
大宮のいづみやはいい店だった、1時間という時間でもどちらかというと正直だったのは
客席の奥行がおそらく50センチだったのと古い建物にしては高い天井だったんだろう
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2023.2.8


予期しないミスや不意のバグりを除去するリムーバーよりも、ミスやバグりを含みつつ着地するためのレギュレーターでありたい自分にとっての建築やまちは
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2023.2.6


着くと予想とは異なる風景、期待の宇和島の段々畑は海の向こうだとgoogleは告げる寒風厳しい静かな漁村.
同行人はナビの設定ミスを悔やむが、一度も来るはずがなかったこの漁村に自分が立っているのはそのミスの先にある.
ミスは予期しない道を開く、ミスが自分を想定の外に連れ出すこともあるのだ、

今回の旅の手触りはこのミスによるところが大だ

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2023.1.22


高知、四万十、黒潮ら高知県を経て宇和島、松山ら愛媛を巡る旅程は僕の2回目の四国、
いわゆる名所はいくつも訪ねたが、引っかかるのはどうも海だ.
海に向かう心の高揚は海無し県で育った者に共通だと思うが
両親や親類が年に一度連れて行ってくれた海の記憶が掛け値になって高揚はますます大きくなる.
この高揚は海の具体的にどこに向かうのか、僕にとってはさらさらとした砂と青という色だ
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2023.1.17


バンドが、例えば、ギターの門脇です、という自己紹介には引っかかるところがあって、
「ギターの」というのは、ギター奏者である前に人間であることとか、
もっと広く言うと父であって、もしくは息子であって、そういうもっと広い世界を引き受けている個人であることが
「ギターの」というごく限定されたコミュニティの肩書によって矮小されている感じがあるんじゃないかということは
『American Utopia』を観れば思う.

そのステージに立つ彼らだが、詳しくは知らないが専門にしている楽器はあるのだろうが
曲によって担当楽器をメンバー間でトレードしたり、楽器を手放したと思ったら次の曲ではダンサーに転じたり
コーラスに回ったりまた同時にステップを踏み行進したりする.
そこには「バンド」や「ギターの」という便宜上の肩書を超えた個人性を全身全霊に開いた表現があって
American Utopiaはそこに感動する
だから、これはリアルな町場の生業についても言える、
例えば、本屋をやっている藤原です、という自己紹介は確かにその通りだが
その「本屋をやっている」というのは彼が社会とかあるいはあるコミュニティの中で負っている役割を説明し切れているのか、
僕が、設計事務所をやっている渡辺です、という「設計事務所をやっている」が「設計事務所」が既に持っている
ある一定の権力に甘えていないかについては自覚的注意を持っていないといけないんだろう、

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2023.1.16

一晩、頭の隅に放っておいてみて

「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」というのはしっくりきた感じがする

去年9月、鹿沼東高(母校である)でのレクチャースライドももう一つの立脚点になるかもしれない、
「(建築を)つくる、なおす、まもる」という、建築設計事務所で何をしているのかを説明するために立てた3つだ、
建築をつくり、なおし、まもることが、僕の仕事であると言ったのだった

「しらべる」が入っていない、つくるとなおすとまもるのどれにも「しらべる」はある気がするが
僕にとって「しらべる」は先の3つと同じ重みでそこにある感覚がある、それを言葉にする必要がありそうだ
僕は16年前から、つくる、なおす、まもる前から、そこにある建築を「しらべ」ている

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2023.1.15

『鹿沼のスキマ・創刊前夜号』に寄稿した1,300文字のテキストは自分にとって建築とは何かという問いの立脚点だ.
今読むと遭遇するちゃんちゃらおかしいにくすぐったいけれど向き合って、都度チューニングしていくしかないのだ.

「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」
「空間は意思の記憶装置」
「メジャーをそこここに当てる、(中略)そこに確かにある少なくとも100年分の「こう生きた」先人の意思を空間を通して発見する。僕は、先人が生きた空間の先に未来を発見している」

こんなくだりに目が留まる、どうやら
先人の思いを未来を繋げ.空間(建築)はその思いを我々そして次世代に伝える翻訳装置だ、という感じのことを言いたそうだが
まだこれは微妙だ、また明日にする
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2023.1.14

書いていて楽しかった三が日だがそれ以降書き空いている、でも

気持ちの中では日記が書けている感覚はある、ここには書けていないけれど
このブログはアーカイブを見たら初投稿は2006年だからもう16年は書いている、
16年の原動はなんだったのか、最初は怒ったり、悔しかったりして、
その時々の相手に、このブログを通じて気持ちを投げていたんだと今日佐藤さんと話をしていて思った.
当時はその怒ったり悔しかったりは社会には届かない趣味的な衝動だと思ってきたのだが
いや待てよ、趣味的とはいえそれは個人性の起源そのものだからその衝動から始めるしかないのだ、
自分にとって建築とは何か、という問いは決して大袈裟ではなく
そろそろ向き合わないといけないのは分かっている、その初手として
このブログの16年前に立ち戻るのだ

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2023.1.3

たとえば住宅地で、払った枝を処分するには紐で括り燃えるゴミの日にステーションに持っていく、

それを収集車が持ち運び最終的には焼却炉で焼くのだと思う.
そう考えると枝を処分するのも結構な運動量だ、その意味では
軒先で枝枝を土に還せる場があるのは有り難いことだ.
枝に限らず、かじったりんごの芯でもいいし、腐らせてしまったみかんでもいい
それをポイと放っておける場所、放っておいても気にならない場所
そこには水平垂直的な平面の広がりではなく、地球のコアに向かって
押し包まんとする一点集中的な大きな力が働いている感じがする

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2023.1.2

庭の木々はすっかり葉を落として裸ん坊になっていて、樹形がよく見えるようになっていた.

風も弱く温かいので枝払いするには丁度良い正月だ、
脇本さんに習った仕方は、庭のあるここに越して4年目、そこそこ慣れてきた感じがある.
我が家の敷地は、自地ではないが雑木林的な裏庭があって、払った枝はその片隅に積んでおく、
一年も経つとほぼ枯れ、足で踏めば土に還せることもわかった.
還せる、というのは、家事的なスパンに比べると長いが、これももとに戻すことだ.
園芸も家事なのだ.

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2023.1.1

連休だが家にいると家事もするのだが、はたと思ったが、家事というのは概してもとに戻すことだな、

食器洗いも、衣服の洗濯も、掃除機をかけるのも、寝た布団を毎朝畳むのも、みな、もとに戻している.
その日何をしても、どう過ごしても、相変わらずまたもとに戻すのだ、それとも
もとに戻すから、何をすることも、どう過ごすこともできるのか、

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