櫃沢の現場は28筆の土地から成り足し合わせると約20,000㎡である。ある程度の位置は地番から特定するが具体的にどこからどこなのか、寸法であたろうとすると相続者も自信がない。都市計画区域外の土地28筆のうち宅地なのは1筆であとは山林、田、畑で隣家から500mほど離れた細い沢の奥だから境界をはっきりさせる要請などこれまでになかったのだろう。敷地の境界杭などなくヒントと言えば家伝口承「敷地の際には自然自生しないような樹が植えてある」である。公図を取り寄せてみる、1枚では納まらないので2枚、3枚と繋げていく。公図だが記載された方角が正しくないことが分かり、角度を振ったりして、連続するはずの「道」や「水」を手がかりに一応のまとまりはできるものの、いくつかの部分で辻褄が合わなかったり欠損したり宙ぶらりんの筆が残る。公図の左下「作成年月日」を見ると「明治9年」とあり近代地租改正である、はあっとため息が出てこの作業でできるのはここまでかと気づいてひとまず壁に貼る。