こんにちは。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。 最近、横浜でも寒さが強くなってきましたが、鹿沼ではどうでしょうか。カラッした日に見える古賀志山は今日も鹿沼を見守っているんだろうと思います。 ところで鹿沼ぶっつけ秋祭りに参加して早2ヶ月。21年を生きてきて、初めて「若衆」として祭りに参加し、“内側”から鹿沼の伝統を感じることができた日。何もかもが初めてで、戸惑い、戸惑い、戸惑い・・・。屋台のひき方、それぞれの役割と関係、規則、スケジュール、お囃子、提灯への火付け、ぶっつけ、たくさんの引き継がれた伝統がありました。 対して、現代ならではの部分も多く見られました。屋台に乗る金髪若者、シャレた新しい通り沿いの建物、屋台パレード、統制されたぶっつけ、流れ込んだ新しい要素が見られました。 今までだって、きっとそうやって祭りは変わってきたんだと思う。賛否両論ありながら変わってきたんだと思います。でもなんでなのかな、悲しい気持ちもありました。仕方がないと思いながらも切ない気持ちが。 きっと今までは変わりながらも、今宮礼祭は鹿沼の今宮礼祭だったのだと思います。変わりながらも鹿沼の中で鹿沼らしく、鹿沼のことを忘れない鹿沼の祭りだった。そして参加者、町並み、いろいろなことが一緒に同じ場所で変わっていたのだと思う。(言葉にするのは難しいな、これは) 今はどうなのだろうか。楽しく騒ぐことも大切だけど、観光客が喜ぶことも大切だけど、危険が少ないのも大切だけど、何かを忘れているような気がする。ちゃんと鹿沼を見つめて、鹿沼の伝統を見つめていれば、こういう形にはならなかったんじゃないかなと。それぞれがバラバラの方向を見てしまっているのだと思う。 ワタナベが参加させて頂いた町内は、とっても温かく、昔ながらの仕来りの息づく素敵な“チーム”でした。本当に楽しかった。みんなが同じ方向を見て同じ理想に向かっている気がしました。普段は近所のオッチャンなんだろうなぁと思える人も、本番となると目がキリッとして男前になる。そしてとっても楽しそう。 やっぱり鹿沼には他に誇れる歴史がありました。そしてそれが今でも生きている。これを大切にしないで、どうして鹿沼の豊かさを語れるのかなって感じた祭りでした。 この鹿沼の秋祭りが「今と昔を繋ぐ素敵な行事」となることを想いながら、活動は続いていきます。