2023.4.30


越してきてから会えたのは2回目、今年は池周りに毎日会えている
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2023.4.27


四万十のある一つの沈下橋に並行する二つの世界、
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2023.2.15


内子の宿で見たこれは吊り梁とでもいうんだろうか、障子の上を外に貫通して出し桁を支えていた

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2023.2.12


どちらかというとシャイで、(家族以外の)誰かに心のままを話そうという気は殆ど起こらないほうだが
今日は、とか、この人には話せそうだな、という日がやってくることもあるんだなという夜だった.
大宮のいづみやはいい店だった、1時間という時間でもどちらかというと正直だったのは
客席の奥行がおそらく50センチだったのと古い建物にしては高い天井だったんだろう
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2023.2.8


予期しないミスや不意のバグりを除去するリムーバーよりも、ミスやバグりを含みつつ着地するためのレギュレーターでありたい自分にとっての建築やまちは
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2023.2.6


着くと予想とは異なる風景、期待の宇和島の段々畑は海の向こうだとgoogleは告げる寒風厳しい静かな漁村.
同行人はナビの設定ミスを悔やむが、一度も来るはずがなかったこの漁村に自分が立っているのはそのミスの先にある.
ミスは予期しない道を開く、ミスが自分を想定の外に連れ出すこともあるのだ、

今回の旅の手触りはこのミスによるところが大だ

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2023.1.22


高知、四万十、黒潮ら高知県を経て宇和島、松山ら愛媛を巡る旅程は僕の2回目の四国、
いわゆる名所はいくつも訪ねたが、引っかかるのはどうも海だ.
海に向かう心の高揚は海無し県で育った者に共通だと思うが
両親や親類が年に一度連れて行ってくれた海の記憶が掛け値になって高揚はますます大きくなる.
この高揚は海の具体的にどこに向かうのか、僕にとってはさらさらとした砂と青という色だ
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2023.1.17


バンドが、例えば、ギターの門脇です、という自己紹介には引っかかるところがあって、
「ギターの」というのは、ギター奏者である前に人間であることとか、
もっと広く言うと父であって、もしくは息子であって、そういうもっと広い世界を引き受けている個人であることが
「ギターの」というごく限定されたコミュニティの肩書によって矮小されている感じがあるんじゃないかということは
『American Utopia』を観れば思う.

そのステージに立つ彼らだが、詳しくは知らないが専門にしている楽器はあるのだろうが
曲によって担当楽器をメンバー間でトレードしたり、楽器を手放したと思ったら次の曲ではダンサーに転じたり
コーラスに回ったりまた同時にステップを踏み行進したりする.
そこには「バンド」や「ギターの」という便宜上の肩書を超えた個人性を全身全霊に開いた表現があって
American Utopiaはそこに感動する
だから、これはリアルな町場の生業についても言える、
例えば、本屋をやっている藤原です、という自己紹介は確かにその通りだが
その「本屋をやっている」というのは彼が社会とかあるいはあるコミュニティの中で負っている役割を説明し切れているのか、
僕が、設計事務所をやっている渡辺です、という「設計事務所をやっている」が「設計事務所」が既に持っている
ある一定の権力に甘えていないかについては自覚的注意を持っていないといけないんだろう、

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2023.1.16

一晩、頭の隅に放っておいてみて「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」というのはしっくりきた感じがする。去年9月、鹿沼東高(母校である)でのレクチャースライドももう一つの立脚点になるかもしれない、「(建築を)つくる、なおす、まもる」という、建築設計事務所で何をしているのかを説明するために立てた3つだ、建築をつくり、なおし、まもることが、僕の仕事であると言ったのだった。「しらべる」が入っていない、つくるとなおすとまもるのどれにも「しらべる」はある気がするが、僕にとって「しらべる」は先の3つと同じ重みでそこにある感覚がある、それを言葉にする必要がありそうだ。僕は16年前から、つくる、なおす、まもる前から、そこにある建築を「しらべ」ている

2023.1.15

『鹿沼のスキマ・創刊前夜号』に寄稿した1,300文字のテキストは自分にとって建築とは何かという問いの立脚点だ.
今読むと遭遇するちゃんちゃらおかしいにくすぐったいけれど向き合って、都度チューニングしていくしかないのだ.

「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」
「空間は意思の記憶装置」
「メジャーをそこここに当てる、(中略)そこに確かにある少なくとも100年分の「こう生きた」先人の意思を空間を通して発見する。僕は、先人が生きた空間の先に未来を発見している」

こんなくだりに目が留まる、どうやら
先人の思いを未来を繋げ.空間(建築)はその思いを我々そして次世代に伝える翻訳装置だ、という感じのことを言いたそうだが
まだこれは微妙だ、また明日にする
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2023.1.14

書いていて楽しかった三が日だがそれ以降書き空いている、でも

気持ちの中では日記が書けている感覚はある、ここには書けていないけれど
このブログはアーカイブを見たら初投稿は2006年だからもう16年は書いている、
16年の原動はなんだったのか、最初は怒ったり、悔しかったりして、
その時々の相手に、このブログを通じて気持ちを投げていたんだと今日佐藤さんと話をしていて思った.
当時はその怒ったり悔しかったりは社会には届かない趣味的な衝動だと思ってきたのだが
いや待てよ、趣味的とはいえそれは個人性の起源そのものだからその衝動から始めるしかないのだ、
自分にとって建築とは何か、という問いは決して大袈裟ではなく
そろそろ向き合わないといけないのは分かっている、その初手として
このブログの16年前に立ち戻るのだ

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2023.1.3

たとえば住宅地で、払った枝を処分するには紐で括り燃えるゴミの日にステーションに持っていく、

それを収集車が持ち運び最終的には焼却炉で焼くのだと思う.
そう考えると枝を処分するのも結構な運動量だ、その意味では
軒先で枝枝を土に還せる場があるのは有り難いことだ.
枝に限らず、かじったりんごの芯でもいいし、腐らせてしまったみかんでもいい
それをポイと放っておける場所、放っておいても気にならない場所
そこには水平垂直的な平面の広がりではなく、地球のコアに向かって
押し包まんとする一点集中的な大きな力が働いている感じがする

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2023.1.2

庭の木々はすっかり葉を落として裸ん坊になっていて、樹形がよく見えるようになっていた.

風も弱く温かいので枝払いするには丁度良い正月だ、
脇本さんに習った仕方は、庭のあるここに越して4年目、そこそこ慣れてきた感じがある.
我が家の敷地は、自地ではないが雑木林的な裏庭があって、払った枝はその片隅に積んでおく、
一年も経つとほぼ枯れ、足で踏めば土に還せることもわかった.
還せる、というのは、家事的なスパンに比べると長いが、これももとに戻すことだ.
園芸も家事なのだ.

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2023.1.1

連休だが家にいると家事もするのだが、はたと思ったが、家事というのは概してもとに戻すことだな、

食器洗いも、衣服の洗濯も、掃除機をかけるのも、寝た布団を毎朝畳むのも、みな、もとに戻している.
その日何をしても、どう過ごしても、相変わらずまたもとに戻すのだ、それとも
もとに戻すから、何をすることも、どう過ごすこともできるのか、

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2022.12.29


12/11に開催された北小見学会、
朝日新聞朝刊の記事を文化課のKさんが送ってくださった。

現役校舎であることを“奇跡的”と言ったのは確かに僕だったが
突然空から降ってきた奇跡ではなく
生徒や先生そして近傍の方々による、連綿な校舎の営繕という土から育つような奇跡を言いたかった。

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2022.12.19


安芸市、土居廓中を行く.
三角部分の外壁は、雨水を帰す縦羽目板と、奥にある防火と風止めの土壁の二重構え、

縦羽目板は交換可能なように瓦と透かしで取り合うので余分な線が出ず
三角の家形がより強調されるから、ケラバの印象がより強く残る

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2022.11.29


フィクションであるはずの水槽の奥その向こうに本物の外があり、
あれれ、のぞくこちらがフィクションなのか、
なかがわ水遊園の展示の強さは、この鑑賞・被鑑賞の関係のゆらぎに因るところ大きい
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2022.11.28



鹿沼まるごと博物館構想における第8回企画展「学校誕生」の特別イベントとして「北小見学会」が開かれます。
昭和戦前建築から戦後、昭和、平成、令和といまも現役木造小学校である同校の見学ツアー、
鹿沼史談会の福田純一さんとタッグを組んで渡邉が講師をつとめます。
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2022.11.24


なかがわ水遊園・おもしろ魚館(古市徹雄都市建築研究所+佐藤総合計画/2001)は
自宅から1時間ほどの近場でありながらこれまで未経験でずっと行きたいとは思っていてようやく来訪、
設計は古市徹雄率いるチームとあって期待していたが実空間はその期待以上で建築も展示もとても良かった.

展示は淡水魚を中心にしたあまり馴染みのなかったがユニークで個性的、
建築は鉄、ガラス、コンクリートによるゴリゴリで骨太、
そのどちらも負けないぞというジリジリとした等価な対峙の様が
頼もしい空間、そこにい尽くしたいという気持ちを起こさせる.

それ以上に気に留まったのは、ぐるりとした終点のない動線である.
正面のアプローチスロープからエントランス、受付、展示空間を経て再び外部スロープ、
そこから屋上デッキ、デッキからは北関東の美しい風景に目が導かれ動線が消えていく、
その道中に大きなハイライトがないのだが、そのハイライトのなさが、それを大きく助長している.
彼のいう「走向自然」がこの動線体験で体感できる.
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2022.9.19


きっかけは2つ、まず
恩師の大学退官に伴い引き取った500冊。もう一つは鹿沼の、亡くなられたとある建築家の家族から引き受けた、彼が収集した1,000冊。
しばらく自宅倉庫に眠ったままだったこれらを公開するための、図書館兼2つめのスタジオを鹿沼銀座につくります。
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2022.8.16


日枝神社(鹿沼市板荷)の境内にある湧水池、
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2022.8.15





建築設計室わたなべは16日まで夏季休暇中です、
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2022.7.28



農家住宅の不時着/群馬県前橋市が『新建築住宅特集 2022年8月号』に掲載され、プロジェクト動画も公開されました!

建築設計室わたなべは2021年2月から設計チームに参加、改修工事が始まった同年8月からは週一ペースで現場に通い
今年2022年初夏に竣工を迎えた渾身(!)のプロジェクトです。

新建築.ONLINE
https://shinkenchiku.online/movie/5624/
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2022.5.2


事務所隣室のシェアキッチンMadoのクローズに伴う内装解体中、

暫定的に、建築設計室わたなべのライブラリーとしてオープンします.

建築設計室わたなべの、日常的によく開く蔵書が、解体で発生する木材やコンクリートブロックを転用した什器に並びます.

解体は進行中なので、それに伴いインテリアも日々更新します、それに反応して蔵書も入れ替わります.

ぜひ遊びに来てください.

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