越してきてから会えたのは2回目、今年は池周りに毎日会えている
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2023.4.27
四万十のある一つの沈下橋に並行する二つの世界、
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2023.4.25
3/3回目の高知、しばらく四国はさようなら
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2023.2.12
どちらかというとシャイで、(家族以外の)誰かに心のままを話そうという気は殆ど起こらないほうだが
今日は、とか、この人には話せそうだな、という日がやってくることもあるんだなという夜だった.
大宮のいづみやはいい店だった、1時間という時間でもどちらかというと正直だったのは
客席の奥行がおそらく50センチだったのと古い建物にしては高い天井だったんだろう
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2023.2.8
予期しないミスや不意のバグりを除去するリムーバーよりも、ミスやバグりを含みつつ着地するためのレギュレーターでありたい自分にとっての建築やまちは
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2023.2.6
2023.1.22
高知、四万十、黒潮ら高知県を経て宇和島、松山ら愛媛を巡る旅程は僕の2回目の四国、
いわゆる名所はいくつも訪ねたが、引っかかるのはどうも海だ.
海に向かう心の高揚は海無し県で育った者に共通だと思うが
両親や親類が年に一度連れて行ってくれた海の記憶が掛け値になって高揚はますます大きくなる.
この高揚は海の具体的にどこに向かうのか、僕にとってはさらさらとした砂と青という色だ
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2023.1.17
バンドが、例えば、ギターの門脇です、という自己紹介には引っかかるところがあって、
「ギターの」というのは、ギター奏者である前に人間であることとか、
もっと広く言うと父であって、もしくは息子であって、そういうもっと広い世界を引き受けている個人であることが
「ギターの」というごく限定されたコミュニティの肩書によって矮小されている感じがあるんじゃないかということは
『American Utopia』を観れば思う.
曲によって担当楽器をメンバー間でトレードしたり、楽器を手放したと思ったら次の曲ではダンサーに転じたり
コーラスに回ったりまた同時にステップを踏み行進したりする.
そこには「バンド」や「ギターの」という便宜上の肩書を超えた個人性を全身全霊に開いた表現があって
American Utopiaはそこに感動する
2023.1.16
一晩、頭の隅に放っておいてみて「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」というのはしっくりきた感じがする。去年9月、鹿沼東高(母校である)でのレクチャースライドももう一つの立脚点になるかもしれない、「(建築を)つくる、なおす、まもる」という、建築設計事務所で何をしているのかを説明するために立てた3つだ、建築をつくり、なおし、まもることが、僕の仕事であると言ったのだった。「しらべる」が入っていない、つくるとなおすとまもるのどれにも「しらべる」はある気がするが、僕にとって「しらべる」は先の3つと同じ重みでそこにある感覚がある、それを言葉にする必要がありそうだ。僕は16年前から、つくる、なおす、まもる前から、そこにある建築を「しらべ」ている
2023.1.15
『鹿沼のスキマ・創刊前夜号』に寄稿した1,300文字のテキストは自分にとって建築とは何かという問いの立脚点だ.
今読むと遭遇するちゃんちゃらおかしいにくすぐったいけれど向き合って、都度チューニングしていくしかないのだ.
「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」
「空間は意思の記憶装置」
「メジャーをそこここに当てる、(中略)そこに確かにある少なくとも100年分の「こう生きた」先人の意思を空間を通して発見する。僕は、先人が生きた空間の先に未来を発見している」
こんなくだりに目が留まる、どうやら
先人の思いを未来を繋げ.空間(建築)はその思いを我々そして次世代に伝える翻訳装置だ、という感じのことを言いたそうだが
まだこれは微妙だ、また明日にする
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2023.1.14
書いていて楽しかった三が日だがそれ以降書き空いている、でも
2023.1.3
たとえば住宅地で、払った枝を処分するには紐で括り燃えるゴミの日にステーションに持っていく、
2023.1.2
2023.1.1
連休だが家にいると家事もするのだが、はたと思ったが、家事というのは概してもとに戻すことだな、
2022.12.29
2022.12.19
2022.12.12
家族が撮ったなかがわ水遊園おもしろ魚館、
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2022.12.11
まるごと博物館第8回企画展「学校誕生」の関連イベント、鹿沼市立北小学校の見学会でした.
小さな部材で大きな空間、近くのつくりかたで遠くの様式、という切り口で北小を考えました.
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2022.11.29
フィクションであるはずの水槽の奥その向こうに本物の外があり、
あれれ、のぞくこちらがフィクションなのか、
なかがわ水遊園の展示の強さは、この鑑賞・被鑑賞の関係のゆらぎに因るところ大きい
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2022.11.28
鹿沼まるごと博物館構想における第8回企画展「学校誕生」の特別イベントとして「北小見学会」が開かれます。
昭和戦前建築から戦後、昭和、平成、令和といまも現役木造小学校である同校の見学ツアー、
鹿沼史談会の福田純一さんとタッグを組んで渡邉が講師をつとめます。
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2022.11.24
なかがわ水遊園・おもしろ魚館(古市徹雄都市建築研究所+佐藤総合計画/2001)は
自宅から1時間ほどの近場でありながらこれまで未経験でずっと行きたいとは思っていてようやく来訪、
設計は古市徹雄率いるチームとあって期待していたが実空間はその期待以上で建築も展示もとても良かった.
展示は淡水魚を中心にしたあまり馴染みのなかったがユニークで個性的、
建築は鉄、ガラス、コンクリートによるゴリゴリで骨太、
そのどちらも負けないぞというジリジリとした等価な対峙の様が
頼もしい空間、そこにい尽くしたいという気持ちを起こさせる.
それ以上に気に留まったのは、ぐるりとした終点のない動線である.
正面のアプローチスロープからエントランス、受付、展示空間を経て再び外部スロープ、
そこから屋上デッキ、デッキからは北関東の美しい風景に目が導かれ動線が消えていく、
その道中に大きなハイライトがないのだが、そのハイライトのなさが、それを大きく助長している.
彼のいう「走向自然」がこの動線体験で体感できる.
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2022.9.19
きっかけは2つ、まず
恩師の大学退官に伴い引き取った500冊。もう一つは鹿沼の、亡くなられたとある建築家の家族から引き受けた、彼が収集した1,000冊。
しばらく自宅倉庫に眠ったままだったこれらを公開するための、図書館兼2つめのスタジオを鹿沼銀座につくります。
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2022.8.16
日枝神社(鹿沼市板荷)の境内にある湧水池、
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2022.8.15
2022.7.28
農家住宅の不時着/群馬県前橋市が『新建築住宅特集 2022年8月号』に掲載され、プロジェクト動画も公開されました!
建築設計室わたなべは2021年2月から設計チームに参加、改修工事が始まった同年8月からは週一ペースで現場に通い
今年2022年初夏に竣工を迎えた渾身(!)のプロジェクトです。
2022.5.4
西日を受けるこのあたりが最近は好き、
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