2007年も今日で終わり、明日から2008年が始まります。
2007年にたくさん偉そうなことを言いましたが、2008年は一つでも多くそれを実行できるよう頑張ります。調査、たくさんします。
2008年が2007年より少しでも素敵な年になりますように。
新しいホームページ
新しいホームページが出来ました。いやいや、完成したと言うより、これから作っていかなくてはならないホームページです。ゆっくり充実させていくので、どうぞお付き合いください。
職人さん
鹿沼の大正時代のとある住宅を調査していますが、その中で栃木市の左官屋さんにいろいろ相談に乗らせていただいています。
相談に乗っていただいていると言っても、職人さんはまだ鹿沼の住宅を実際にご覧になった訳ではなく、写真や図面などを見ていただきご指導いただいていた訳なのですが、今日、「現物を見に行くよ。」と言っていただいたのです。
これまでいくつかの職人さんに協力いただけないかとお願いをしても、相手にしてもらえなかったりスッポカされたりと思うようにいかなかったのですが、この職人さんは「現物も見ずにいろいろ言うなんてそんな無責任なことできないよ」ということで、わざわざ1時間離れた鹿沼に足を運んでくださるとおっしゃるのです。あまりの嬉しさと突然さで言葉を失ってしまいました。
「机上では何にも進まない」「答えは現場に」
そんな姿勢を学ばせていただきました。ちなみに今日はその職人さんの現場にお邪魔して、お仕事の様子を見学させていただいていました。
本文とは関係ありませんが、鹿沼の街道沿いのとある住宅の2階
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広く、まっすぐに
上野町交差点にて新道の工事が始まっています。
宇都宮から鹿沼市内に向かう際、これまでは上野町交差点がT字路のため迂回をしないといけませんでしたが、これからは宇都宮からまっすぐ鹿沼市内に抜けられるようになります。(下記の地図を参照してください)
鹿沼街道は交通量も多いので、この工事による動線の変化はまちにも大きな影響を与えそうです。これまでの迂回路に店を構えた方たちはどうするのだろう。
こういうとき、以前東京の大学の先生がつぶやいた言葉が思い出されます。
「広くてまっすぐな道が車にスピードを出させている」
「小学生の列に突っ込んだ事件だって、やたらに道を整備するからだよ」
歩行者と車がぶつかりそうになるくらい狭い道の方が速度がでなくて安全なのではないだろうか。この類いの工事で本当は誰が得をしているのか。そこをもっと考えなくちゃいけない。
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少しは成長したのでは
ちょうど1年前の今日、撮影した写真です。
住宅トンネルの向こうに鹿沼ケーブルテレビのNさんが写っているから、この日は僕の活動を取材してくださっていた日です。あれからもう1年です。
たった1年で鹿沼のまちはとても変わりました。調査したかったお宅もいくつも消えました。これからもこの変化は続いていきそうです。
今日は建築家・篠原一男先生の言葉を紹介したいと思います。篠原先生は紫綬褒章も受賞された東京工業大学の名誉教授。去年2006年に亡くなりました。
「伝統は創作の出発点でありえても回帰点ではない」
この1年で僕が体得してきたのも、この言葉に尽きると思っています。
古いものを否定するのも肯定するのも「古いものをよく知る」までは同じであっていい。新しくてカッコいいことがしたいから、これからも鹿沼の今までを研究していきたいと思います。
包まれているような居心地
今日は旧市街のとあるお宅のお庭に入れていただきました。
庭といっても、観賞用のただの庭ではありません。町家特有の、店部分や蔵、倉庫、トイレ、風呂などを繋ぐ役割を持つ庭なので、建物に入れなくても、この庭に入るだけで当時の暮らし方や生活の様子がなんとなしに見えてきます。
このお宅は江戸後期〜明治初期に建てられたもので、ほとんど当時の様相がそのまま残されています。店部分と裏手の蔵や井戸を結ぶトロッコ跡なども残されており、僕には未知の世界でした。簡単に建物と敷地の配置図をスケッチ、写真も撮らせていただきました。
最近は、今回のように古いお宅の敷地に入れていただくことが多いですが、一つ気になっていることがあります。それは足を踏み入れたときに感じる「包まれる」あの感じ。
今回のお宅は、塀、隣家が敷地を囲み、母屋や蔵が庭を囲み、更には建物の壁が居室を囲みます。この入れ子状の段階的な空間の作り方が、僕に「包まれている」感覚を与えているようです。
これは先月僕が訪れた韓国の河回村でも感じました。河回村は16世紀の様子が生の姿で残っている村で、農業を生業とする小さな村です。建築家の中村好文先生も指摘していますが、河回村の名前が示す通り、川が村を囲み、塀が敷地を囲み、建物が庭を囲み、壁が居室を囲みます。ここでも「包まれている」感じを味わいました。
この「包まれる」ような空間。都市部の狭い敷地を広く使う工夫であるようにも感じます。
大好きな中華料理屋
最近、小学生時代から好んで行っていた近所の中華料理がつぶれた、という話を今日聞きました。僕は「あぁ、あそこもいよいよか」と思いました。
その中華料理屋は鹿沼環状線沿いの西側に店を構えていて、人気店としていつもお客で賑わっていました。しかし2年程前に環状線の陸橋化(JR日光線との踏切での渋滞を解消するため)がされ、その中華料理屋は陸橋のちょうど中央の下辺りに隠れてしまいました。お店からすれば東側のすぐ上には片側2車線の巨大な塊が降ってきたような状況です。それまで、通りからよく目につく立地だったのが、車の流れが陸橋に流れることで、この中華料理屋の前を通行する車はなくなりました。
それからというもの、この中華料理屋の賑わいは以前と比べると少なくなりました。常連さんしかこないお店になったのです。(皮肉にも、陸橋化の工事期間中は工事業者で賑わっていました。)
おそらくこの中華料理屋の主人も、この陸橋化の計画はだいぶ前から知っていたのだと思います。お店の場所を移すなど、いろいろな対策の打ちようもあったのだと思います。でもその場所でなきゃならなかったのではないでしょうか。その場所で中華料理屋をやっていたかったのだと思います。
その人にとっては大切な場所だったのに、あまりにも大きな力であっという間に変貌させてしまうこと。分かりやすい便利さの裏には、たくさんの人の犠牲があることも感じなくてはなりません。その道を走る車からはそんなことはちっとも感じられません。よく考えるとそれはとても怖いことだと思いました。ちなみに僕自身もその陸橋を毎日走ります。
以前は環状線として大変交通量の多い道でした。今は人も光もなく、暗い雰囲気です。
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お土産
1年前の鹿沼のまち歩きで偶然知り合った、旧市街にお住まいのご夫婦がいらっしゃいます。
今日、「わたなべ君、調査させてもらえそうな古いお宅があるからいらっしゃい」とお声をかけていただき、早速、久しぶりにご夫婦に会いに行ってきました。
調査させていただくお宅の方を紹介していただき、帰りに「お茶でも飲んでいきなさい」とお誘いいただいたので、お言葉に甘えご夫婦のお宅へお邪魔しました。
このご夫婦のお宅も古い。おそらく大正〜昭和初期のものだろうと推測されます。そんなお宅でお孫さんのお話や世間話をしました。
このご夫婦のように、旧市街の方達は僕に優しくしてくれます。歓迎してくれます。活動を応援して下さります。何かお返しができるといい、と思います。
ご夫婦から帰りにお土産を頂きました。とても可愛い袋。近所のパン屋さんの袋だそうです。
栗拾い
あまり関係ありませんが・・・。
栗拾いにハマっています。
夏が終わり、栗が落ち、栗を拾い、皮をむく。
陽が昇れば起きて、窓を開ける。陽が沈めば家に帰って、ご飯を食べる。
雨が降れば洗濯物をとりこんで、窓を閉める。
あまり関係ありませんが・・・。
落ちて、拾って、むいて、炊いて、食べて。
こうすると心が豊かになる・・・ような気がしてます。
おはよう
昨日の早朝の一枚です。
調査先で出会った猫くん。
人間よりもずっと短い命なのに、時間の使い方が人間よりもずっとのんびりです。
約140年
現在、仲町の通り沿いで古い町家の取壊し作業が進められています。10月21日現在では、通りに面していた店部分の解体が終了し、裏手にある土蔵の解体に着手しようとしている段階と推測されます。
一枚目の写真は去年8月に撮影した店部分です。
表の一部に白タイルの増築部分が取り付いていますが、その内側には土蔵造りの町家が確認できます。
そして2番目の写真が今年10月13日に撮影した取壊し途中の写真です。
通り沿いの店部分が姿を消し、その後ろに金木犀や杉の生い茂っている様子が分かります。
最後に、今日10月21日の様子が3枚目。
植栽が取り除かれ、それまで見えなかった2階建ての土蔵が姿を現しました。江戸後期の建築と推測されます。約140年もの間、この場所に建ち続けているのです。江戸後期というと、鹿沼の旧市街に現存する建築の中でも最も古い部類に入ります。
そんな建物が今、まちから消えようとしています。
「人間は自分の存在を確かめるために、町や建物、風景、生涯の間に変わらないもの・そこに在り続けるものと自身を対比させている」
という言葉があります。昔の建物は今回の物件のように、人間の寿命の80歳を余裕で越え、140年くらい軽く保ちます。そんな優れた建物、町並み、風景の中で生きていた人たちは、生涯、自分の中の変わらない風景として心に持っていたに違いありません。
今はどうでしょうか。
現在の建物(木造)の寿命は約30年と言われていて、当然のように町並みは目まぐるしく変化します。離れて暮らしていた人が久しぶりに地元に戻ってみたら、まったく違う風景だった、というのはあまりに悲しいことです。地元を離れて暮らしていても、「変わらない風景」として心に持っていることは自分の存在を確認するために必要なことだと思います。
まちにとって、「何か変わらないもの」を保っていくことは、とても重要なことのように思うのです。
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思わぬ贈り物
以前に調査をさせていただいたお宅に、ワタナベの卒業論文を渡すためにお邪魔しました。そこでとても嬉しいことが。
そのお宅には小学3年生くらいの男の子がいて、調査の時にも少しだけ話をする機会がありました。今回もその男の子はワタナベに寄ってきてくれて、「上がっていきなよぉ」っと誘ってくれたのです。「すぐに次の用があってゆっくりできないんだ」と伝えると、「じゃあこれあげる」と言って、蝉の抜け殻と折り紙で折られたクワガタと手裏剣をくれたのです。くれるまえに大事そうに箱に入れていたようなので、「大事なものじゃないの?もらっていいの?」と聞くと、「あげる」と小さくうなずきました。
知らない学生が自分の家を見に来たことが相当新鮮だったらしく、ワタナベのことを覚えてくれたようです。自分の大切な物を人に送るその少年の気持ちがとても嬉しかったです。笑顔の愛くるしいとても優しい少年。
大谷石?深岩石。
旧市街から西へ車で10分程のところにある深岩石採掘場を見学してきました。
深岩石といっても馴染みが薄いかもしれませんね。世間では大谷石の中の一種類としてくくられていて、深岩石であっても「大谷石」と呼ばれることが多いです。それもそのはず、二つは素人には見分けがつかない程よく似ている石なんです。
鹿沼の町の中には、この深岩石が使われているのを目にすることができます。蔵、塀、敷石、門柱、建物の土台。大谷石に比べて硬くて「石っぽい」です。強度も深岩石の方が大きいです。大谷石特有の「砂っぽさ」があまりないようです。
さて、話は採掘場に戻ります。
採掘現場は細く険しい凸凹山道を登った先にあります。大谷石は地下採掘が主ですが、深岩石は山の表面を切り出していきます。石山が削り取られた感じ。そのスケール感は圧倒的です。
見学時、作業員の方が切り出し作業を行っていました。機械は使いますが、そのほとんどが手作業。機械のない時代は手作業で掘り出していたのです。この巨大空間をこんなスローペースで切り出しているのだから、いったいどれほどの時間がかけられたのでしょう。当たり前に目にする石材。ですが、その裏側には職人の方々のとんでもない量の汗と努力があることを知りました。
今宮礼祭 - 鹿沼ぶっつけ秋祭り
こんにちは。久しぶりの更新です。
皆さん、秋祭りには足を運ばれましたか?今年も比較的天気にも恵まれ、散歩するにはちょうど良い気候でした。
ワタナベは去年は若衆として屋台を引いていましたが、今年は見学者として町中を散策していました。
祭りで一番嬉しいことは、普段は旧市街を歩くことがない人たちも一日中歩く環境になることです。車が一切入らず歩行者天国になり、人とまちの距離はぐっと近くなります。普段は目も向けられないような場所が休憩場所になり、お話の場になります。それを見ていると、「まちづくりってこういう光景をつくることが目標であってほしいなぁ」と思ってしまいます。
車のなかった時代はこういう光景が当たり前だったんです。それはとても豊かなことのように思います。
[写真1]下材木町
[写真2]久保町の亀甲焼さん
[写真3]久保町のベンチ
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K邸、調査
とある和洋折衷のK邸を調査してきました。
外観から一見するに、どこにでもある洋風下見の外壁に日本瓦の乗る洋館風住宅に思えますが、中に入ってみるとそうではありません。鹿沼でしか為し得なかった「らしさ」がところどころに垣間見えます。
材料の扱い、選び方、準備、室内装飾、ディティール・・・
それを発見することが調査の醍醐味です。
ちなみに、下の写真はK邸ではなく、K邸から見る隣の洋館風住宅です。
写真|K邸からみる隣の洋館風住宅
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本日は2時から調査
今日は一人で大正時代のとある住宅の調査です。
一番暑い2時から屋根裏に忍び込み、おそらく40度以上はあろう暗闇で一人探検です。
ヘッドライトとハンドライト、メジャー、使い捨てカメラ、マスクを装着していざ、大正そのままの空間へ。
写真は本文と関係ありません 笑
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楽しい予感
先日、宇都宮大学の小西教授とともに鹿沼のとある住宅を調査しました。 皆さんによいお知らせができることを楽しみにしています。
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まち歩きのススメ
こんにちは。 去年の今頃、僕は鹿沼の町を歩き始めました。そして今年の夏も歩いています。 まち歩きの必需品!水、カメラ、メモ、4色ボールペン...。3色じゃダメです、4色じゃなきゃ。地図にいろいろ書き込んでいくんです。変わったところ、変わらないところ、気付いたこと、面白かったところ。 毎日まちは変わります。変わってないようで変わってる。その変化を見つけるは楽しかったり、ときには寂しかったり。 最近は嬉しい知らせがたくさんあります。 前々から鹿沼のいろいろな方に、調査をさせていただける古いお宅はないか、聞いていました。最近になって、調査してもいいよ、との返事をたくさんいただいております。 実際にお宅に上がらせていただいて、お話を伺ったり、簡単に間取りや外観をスケッチしたり、お茶をいただいたり(笑)、そんなことをするためです。2時間程度で終わります。 たった2時間で何ができるのかとお思いの方も多いと思いますが、たくさん収穫があります。それまで分からなかった、まちの歴史や建物のことが、スルスル〜って布がほどけるような感じで分かる瞬間があります。あれが、好きです。 8月は2軒のお宅をお邪魔する予定です。楽しみです。 まち歩きもお宅調査も、やっぱり手と足を動かすのは気持ちがいいです。 家も寄って行ってよ!って方、いらっしゃいましたら、お声をかけていただけると嬉しいです。
写真|下田町の路地
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これからの鹿沼研究にむけて
今日は鹿沼学舎のミーティングに出席してきました。鹿沼学舎は、“地元学”をコンセプトに鹿沼の自然、歴史など勉強会や見学会を企画するNPO法人です。 4月の定期総会では僕に、卒業研究である旧鹿沼宿の町並み調査の成果報告の機会を与えてくださいました。>>>その時の記事 そして今日、その時に参加者から集められた感想アンケートを受け取りました。とてもワクワク。地元の方々はどんな感想をくれたのだろうか。 主は、「今まで身近にありすぎて、古い建物の良さに気付かなかった」というものでした。そう言っていただけると本当に嬉しいです。 この研究を始めたころは、「古いものは大切。残さなきゃダメ。」と思っていて、それに一辺倒になっていました。でも、鹿沼を歩いて、研究して、考えているうちに、「古い建物って古いだけじゃない。現代でも見習うべき良いところがある。」と気付き始めました。 それからは、「残さなきゃダメ」っていう一方的な考え方はしないようにしたし、古いもの消えていく流れも、経済性を考えれば、実に普通なことかもしれません。 ならば、その流れを変えるには、古いものが与えてくれる良さを示せればいい訳だし、それがこれからの研究の責任だと思っています。
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これが本気っていうものだ
旧市街の中に取り残されたように存在しているお店。ここだけ20世紀?と思わずにはいられません。ここは鹿沼屋台夢箒・大坂屋さんです。
駐車場には取り扱う商品がところ狭しと並んでいて、歩道にまで飛び出す勢い。2階の軒下には鹿沼箒が下げられています。 僕はこのお店が大好きです。と言うより、この商売魂を尊敬します。自分の商品をこんなにも自慢気に、そして誇らし気に商売するお店が、他に思い浮かびません。きっと、このお店のご主人は鹿沼が本当に大好きで、ご自分の商売にも自信を持たれているのだと思います。 最近、この大阪屋さんは道路の拡幅のために、以前お店のあった場所から少し北に移動してお店を続けられています。以前のお店は江戸〜明治に建てられた町家で、移動するにあたって部材の一部を新店にも再利用されています。
旧店舗の写真は森山眞弓公式Webサイトより転載しました。 http://www.mayumi.gr.jp/ この大阪屋さんの商売根性。商人の町として栄えた鹿沼宿らしいです。 大阪屋さんのような方がいる鹿沼を誇らしく思いました。
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ヒューマンスケール
まちのど真ん中を車が走るための広い道路が貫いています。もちろん、道が広くなれば車は走りやすいですね? でもでも、よーく考えてみると不都合なこともあると思います。僕が一番思うのは、どこもかしこも同じような景色になったことで、自分のいる場所が分からなくなります。「アレレ、この信号?それとも次の信号?」という具合に。 皆さんも経験ありませんか?直線道路で、信号が短い間隔で先に続いていると、自分がいる交差点の信号とその先の信号を間違えること。僕はよくあります。 最近では、町の中が「車のためのデザイン」で溢れていると思います。何かと車が大きな顔をしています。なぜ、歩行者が歩道橋で道を渡らなきゃ行けないのでしょうか。なぜ、歩行者があんなに信号待ちをするのでしょうか。なぜ、歩行者が猛スピードで走る車に怯えなきゃいけないのでしょうか。 もちろん自動車は生活に欠かせないもの。交通機関の少ない地方ではなおさらのことです。しかし、人の歩くという行為は普遍的です。人は歩く。もっと、歩くためのデザインを考えてもいいと思います。
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絵図は飽きない
かぬまにも古い絵図がたくさん残されています。 ワタナベは暇なときに絵図を眺めます。すると、ときどきある発見がある。
左は現在の写真、右は大正時代の町並みを描いた絵図の一部分です。この2つに写っているのは同じ場所です。左写真のニュー叶屋さんの外観を見てください。とても特徴的ですネ。そして右絵図の叶ヤ支店を見てください。どうですか?似ていませんか?おそらく、建物自体は建て替えられていると考えられますが、道路面の外観の様子は引き継がれています。 次に、叶屋さんの向かって左隣の精美社という建物を見てください。いわゆる、切妻屋根で平入(棟木に対して垂直に入口をとる形式)の町家ですが、現在も大正時代でも同じ建物形式を持っています。こちらのお宅も、建物自体は建て替えられていますが、建物の形式は引き継がれています。 鹿沼は変わってしまった、とよく聞かれますが、注意深く見てみると実は変わっていないところもたくさんあります。
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路地のちから
とてもいい天気でした。こんなに空気が澄んで、景色がこんなに遠くまで見える日は久しぶりでした。そんな日はまちを歩くにかぎります。 先日栃木市で、東京大学の都市工学科の教授を務められている、西村先生の公開講義がありました。主題は「路地の可能性(レトロを越えて路地の意味するもの)」というものです。路地には、その雰囲気の魅力だけではなく、もっと都市的に見ても様々な可能性を秘めている、という内容でした。 別の講演で谷村新司さんが言っていましたが、日本人には「グレーゾーン」な独特の感覚があるそうです。欧米人に比べて自分の気持ちをハッキリさせないというか、普通を好むと言うか、白でも黒でもない微妙な位置を好む考え方。日本人にはその感覚が大きく働いているそうです。 路地も「グレーゾーン」なものだと思います。個人的な場所でもなく、まるっきり外の世界でもない。外の世界というと、車がビュンビュン走っていて、車が中心の計画になっていますが(歩道橋で人が遠回りしなければならないとか...)、路地は完全に人間の尺度になっています。 そんなお話に刺激を受けて、鹿沼旧市街の路地散策をしました。鹿沼旧市街には路地がとても多くて、きっと密接なコミュニティが出来ていたんだろうなぁと思います。 道でもなく、個人的な場所でもない。外でもなく内でもない。路地って何だか魅力的です。
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市の花、さつき
本日2度目の更新ですね。こんにちは。 昨日、伯父にさつきをもらいました。鹿沼の「市の花」に指定されている花です。これまでの個人的なイメージでは、さつきはおじさんの盆栽で扱われていて、若者には馴染みがないなぁ、と思っていました。でも昨日このさつきをもらってみて、「お、意外といいぞ」と思いました。 それは大きさ。よく見るさつきはA3サイズくらいの大きさで、なかなか世話が大変そう。でもこのさつきはiPodサイズ。お手軽でカワイイです。鹿沼市茂呂に花木センター(全国的に有名な、さつきを主に扱う園芸施設)がありますが、ここでもこの大きさはなかったんじゃないかな? もちろん土は鹿沼土。全国どこのホームセンター行っても、園芸に勧められる土が、この鹿沼土です。まさに鹿沼ならではの組み合わせ。
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久しぶりの散策
こんにちは。久しぶりの更新です。 先日、鹿沼文化センターにて「東武日光沿線サミット」なるものに行ってきました。例幣使街道筋であり、現在は東武日光線沿いのまちまちで連携して、経済を活性化していこう、という掛け声のもと、それぞれの地域でのまちづくり実践者が集まり、お話を聞くイベントです。 それぞれのまちの事例紹介は、現況を知る上でとても楽しかったです。でも、この会議主催側が具体的にどう連携して、何をしていきたいかをもっと知りたかったです。(僕の活動にも言えますが・・・) それと、イベント3時間の内、1時間が政治家の挨拶に割いたのにも驚きました。県知事以外は皆、原稿を棒読みされていました。残念です。
帰りには、神奈川大学で建築を学び、宿場の水路について研究している友達と一緒に旧市街を歩きました。下の写真は通称“ぶた公園”(末広町)。
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最後までつくらない。
こんにちは。今日から世間はゴールデンウィークです。 今日、ワタナベは鹿沼の外れの農村地帯にある親戚の家に行ってきました。と言っても特に用はなく、お茶を飲み、ヨモギ団子をよばれ、世間話をするという、のんび〜りな訪問。ただ、そこでとても嬉しい出会いがありました。 ふと、トイレに行くために通りかかった台所にそれはありました。一見なんの変哲もない食器棚。でもよく見るとなんだか美しい。見れば見るほど引き込まれる。しばらく黙って見入ってしまいました。 なにが美しいって、そのガラスの引き戸。モザイクに凹凸がついていて、中に収納された茶碗やコップ、お皿の色によってガラス自身が何色にも輝いています。食器だけではなく、このガラスの引き戸だけでもなく、両者があって初めて美しい外観を作り出す。生活感とカッコ良さの両立に感動しました。 聞けば、この食器棚は30年前の建築時に大工さんがこの作り付け食器棚をこしらえてくれたんだそうです。30年前の職人センスに尊敬。きっとこの住宅に似合った食器棚をデザインしてくれたんだろうなぁ。 食器が収納されて初めて美しさを放つこのデザインを意図していたのかは分かりません。ただ、人が使わずに見ているだけの方が美しいデザインより、人が使って初めて美しくなれるデザインを生んだこの職人さんに感激です。最近は前者の方が圧倒的に多い気がするなぁ。 最後まで作り込まず、使い主の使い方に最後の仕上げを委ねた食器棚。本当に今日はいい出会いをしました。
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変わらない。
こんにちは。 今日は学校の用が早めに済んだので寄り道をして帰りました。前々から行こうと思っていた古賀志山の麓の農村地帯。日光と宇都宮と鹿沼が交わるところです。 田植えのために水を引いた畑に夕日が反射して、とても美しい光景。その中でおじいさん、おばあさんが一日の片付けをしています。鯉のぼりは風に乗って泳ぎ、古賀志山がそれをおおらかに眺めている。 昔から変わらないこの風景。飾らない自然も人々の生活も美しい。こんな田舎に生まれて良かった。故郷がこんな風景で良かった、としみじみ感じました。
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研究発表。
こんにちは。ワタナベです。 最近は雨が多いですね。いつもは自宅から見える古賀志山が、最近は靄と霧の中です。 さて、先週の日曜日、NPO鹿沼学舎の定期総会の時間をお借りして、「旧鹿沼宿における歴史的資産の保全活用に関する研究」の研究成果報告を行いました。3月まで1年に渡って行ってきた、鹿沼旧市街地に残る戦前より前の建造物を調査した、卒業研究の、地元では初のご報告です。東京や神奈川では数回、発表の機会がありましたが、今回は今までで一番緊張しました。地元の方が相手なので、一切のごまかしは効かないということですね。(今までごまかしていたわけではないですが・・・) 研究の成果を分かりやすく伝えたいなぁ、という気持ちはもちろんあって、それ以上に気を付けたのが、「楽しそうに発表しよう」ということでした。笑顔と大きな声。スクリーンに映したスライドには、寅さんや僕の可愛い(?)幼少時代の写真を交え、堅苦しくない発表にしよう、と心がけました。ただ、もうちょっと会場側を見て話せば良かったなぁ、スクリーンばっかり見てたなぁ、と反省しています。 とにもかくにも、地元の方々の、研究に対する反応を初めて見られたので良かったです。真剣に聞いて下さったこと、本当にありがとうございました。このような機会を与えて下さった鹿沼学舎の方々にも、心より感謝いたします。 僕にはあと2年、学生として研究の余地が残されています。さて、次は鹿沼の何を研究しようか、どんな活動をしていこうか、じっくり考えてみます。
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HED展。
建築史交流会。
こんにちは。新しくなった活動HPは見て頂けたでしょうか。動作不具合がありましたらコメントを頂けると助かります。 さて、今日は様々な大学の建築史研究室間の卒研・修論発表会と交流を兼ねた、建築史交流会が代々木にて行なわれました。鹿沼のことを少しでも多くの人に知ってもらおう、と思い、ワタナベも卒研(鹿沼宿における歴史的資産の保全活用に関する研究)を発表してきました。 これが学校外での初めての発表。建築史の専門家の先生、学生が集まるということで相当緊張しましたが、発表時間5分もあっという間に過ぎ、正直何を言ったのか自分でもよく覚えていません。(笑 発表後の先生方からのコメントからは、 「研究成果を“まちづくり”として、その土地に返すことが評価できる」 「堅実な研究に加え、鹿沼のことがよく分かる研究でした」 などのコメント。光栄であり恐縮でありましたが、やっぱり嬉しかったです。 しかし勉強になったこと、反省点も多くありました。これは心の中に留めておくことにして。 小山高専の先生、壬生の研究をされた学生の方ともお話ができ、やっぱり近くで同じ取組みを為されている方がいると心強いなぁ、と感じました。 最後には先生方の投票による優秀研究の表彰がありました。ワタナベの論文はあと一票の差で賞は逃しましたが、ある尊敬する先生からは終了後にお声をかけて頂けるなど、本当に来て良かった。そして鹿沼の興味を持って下さった方がたくさんいらしたこと、有意義な時間でした。 次の卒研の発表は4月、鹿沼にて行ないます。詳細についてはこちらをどうぞ。
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