春ですから。

こんにちは。ワタナベです。 活動のホームページがリニューアル&お引っ越ししました。新しいアドレスはこちらです。 なお、これからの活動もいろいろあります。研究報告会にワタナベの鹿沼への引越(笑)どうぞ、よろしくお願いします。 
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川越。

こんにちは。「鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。 半月程前になりますが、埼玉県の川越に行ってきました。蔵造りの町並みで有名な川越。明治期の大火後に建てられた蔵造りの建造物が、約300mの通り沿いに並びます。蔵造りについては正直、圧巻。町並みが連続していることは、歴史ある町並みとしてはとても重要のようです。電柱は地中化されており、とてもスッキリ。 ただ、その非日常的光景に、「リアル」さが欠けます。どこか、時代劇のセットのような気がしないでもない。レトロタウン、とも言える。「観光」について言えば、それも重要かもしれない。 鹿沼では、もっとリアルなまちづくりがしたい。もっと人間臭いというか、汗臭いというか。レトロタウンにはしたくない。古いものと新しいものが、上手く共生した町にしたいです。昔を「再現」するんじゃなく、これからを「創造」したいです。  
旧鹿沼宿O邸石蔵 
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建築家協会、保存大会。

こんにちは。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。 昨日と今日の2日間にわたり、東京大学にて行なわれた「日本建築家協会、保存問題東京大会」にお手伝いとして参加してきました。建築家、ジャーナリスト、編集者、建築専門家もそうじゃない人も一同に介し、建築物の保存問題について考える大会です。 大会を終えて感じたことは、「“建築物の保存”は決して“後ろ向き”な考えではない」ということ。参加者の誰もが、「単に古いものが好きで、それを守りたい」のではなく、「可能性や魅力を感じているその対象が、偶然古いもの」だったりするのでは。なぜ、まだまだ使える建物を捨てて、新しく建てようとするのか、そういう仕組みになっているのか、真剣に考えました。 とにもかくにも、やはり地元の専門家、つまり建築家の役割は大きそうです。地域住民の「熱」も重要ですが、その建築物の可能性を周囲に信用させるかは、やはり専門家の力が大きい。 「美しい国、日本。」・・・美しいってなんだ?? 路地を解体し、古い建物はゴミにして、道を広げ、都市の密度を下げていく。これまでの人と人の関わり方は消え、隣のお家は何人家族??ってな具合。防災だぁ、安全だぁ、なんて言ってますが、緊急時に近所に誰が何人住んでるとか、あの家はおばあちゃんの一人暮らしだから、大丈夫かしら??とか、それを把握できるような、密度の高い暮らし方を考えなきゃ意味がないです。城壁みたいな家に住んで、外ではヘッドフォンをして歩く、そんな「内な生活」してて良い訳がない。 鹿沼における話ですが、いくら「建築的には価値のない建物で、残す必要はない」ものでも、地域住民の生活の中に息づき、脳に焼き付いていることには間違いがない。そのなかでゆっくり育まれたものは、大切な財産なんです。そんな人間生活の根源、「衣食住」の「住」を、急激な勢いで解体していく今です。それで本当にいいのですか。「豊さ」ってなんですか。「美しい」ってなんですか。こぎれいな家に住んで、プライバシーが守られて、道が広くて、それが豊さですか。学生の小さい頭がいろいろ考えています。  
Photo by nakano dsgn 
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南摩ダム計画地。

こんにちは。歴史を活かしたまちづくり計画の更新は、もうしばらくお待ちください。 先日、南摩地区のダム計画地に行ってきました。もう在住者は退去済みで、一帯は静まり返った里山となり、お堂や小学校などにも人の気配はなく、ただそこには不自然な工事プレハブがあるだけ。 人と自然が穏やかに共存していたその場所に、巨大なダムが計画されています。 その場所にぼんやり佇んで思ったこと。この町では未だ高度経済成長の幻想を片手に突っ走っていると。人間にどうかできるとも思えないこの雄大な自然を相手に何をしようというのだろう。少しだけ哀れにも感じて切なくなりました。もうすぐ「この場所」が水に沈みます。  
 
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本当にいいもの。

こんにちは。 先日、世田谷にある「D&DEPARTMENT」という、“ロングライフデザイン”をコンセプトにしたショップ+カフェに行ってきました。「長く使い続けられる、いいデザイン」の商品なりサービスを取り扱っています。安い高い、古い新しいは関係なく、「本当によいもの」にとてもこだわっています。最近ワタナベが最も興味を持ってるプロジェクトです。  このところ、ニュースでは、某健康番組のねつ造問題で話題は持ち切りです。放送後は店頭から納豆が瞬く間に売り切れたそうですが、事件発覚後は売れ行きもパッタリ。世の中って極端。そんな今、思います。社会の中での“本当にいいモノ”について。  “本当にいいもの”っていうのは、いつの時代もその価値が変わらないこと。でも時代は変わるし、その“本当にいいもの”も時代遅れになってしまう。D&DEPARTMENTの代表であるデザイナー、ナガオカケンメイさんはこう言います。  「変わらないものと、変わっていく時代を同居させていくことが大切」  旧鹿沼宿の建物たちが「変わらないもの」だとしたら、旧鹿沼宿には「変わっていく時代」が必要です。それがワタナベのやるべきことだと自覚を持とう、という今日です。  D&DEPARTMENT  http://www.d-department.jp/   
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お医者さん。

どうも、こんにちは。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。2007年も精進してまいります。 さて、ワタナベは約10年ぶりに歯医者に行ってきました。ここ一ヶ月、前歯の歯間が黒ずんでいて、「これは虫歯に違いない、結構進行しているぞ」と、感じていたのです。わたくしの性格としては、「虫歯なんぞ、ほっときゃ治る」と、当初は考えていたのですが、周りからの勧めや、近所に歯医者が移転してきたこときっかけに、思い切って通院してみることにしました。 真新しい建物の、その歯科医院。2週間前に行ったときは、「大変込んでいて、2週間先まで予約でいっぱいだ」と言う。「はは〜ん。ここの先生はたいそう腕がいいに違いない。2週間くらいなら待ってみよう」ということで予約を入れ、不安と期待の2週間を過ごすことになりました。 そして、今日、その待ちに待った通院日でした。こ奇麗な医院。「ここは住宅展示場なのかい?」と思わせる清潔な待合所。受付を済ませると、すぐに治療室に案内されました。 治療椅子に座って、ドキドキ。前掛けされて、ドキドキ。「きっと、1ヶ月の痛みと不安がぬぐい去られるに違いない。ここは予約でいっぱいの歯医者だもん」 そんなワタクシの席に、この歯科医院のドンである先生がやってきました。 先生 「どうされました?」 ワタナベ 「前歯が黒くなってしまって」 先生 「口開けて」 ワタナベ 「ああーん」 先生 「軽い虫歯だな」 終始、二人の間の会話はたったそれだけ。「はい、終わり」で、3分程で治療は終わり、あっという間に会計。なんだが拍子抜けでした。 確かに、「軽い虫歯」だったことは、それはそれでいいんです。何度も通院せずに済みましたし。でも、ワタナベにとっては、一ヶ月、「ほっときゃ治る」という気分とは裏腹に、不安な気持ちもあったんです。ですから、ワタナベにとっては「軽い虫歯」ではなく、「一ヶ月間の不安をつくった軽い虫歯」だった。歯のスペシャリストであり、医者なのなら、その「一ヶ月間の不安」もぬぐい去って欲しい。歯科学的には「軽い」けど、素人にとっては「虫歯かもしれないっていう不安」だったんだから。せめて、「これ以上悪くならなくて良かったですね。早めに診ておいて良かったですよ」とでも言って欲しい。それだけでそれまでのドンヨリ気持ちは晴れるのに。 きっと、歯医者さんだって、「将来は歯の病気を治して、たくさんの人を安心させたい」なんていう、純粋な夢から、大学を出て、留学して、勉強してきたんじゃないのかな。だったら、患者さんの些細な気持ちも察して欲しい。そんな勉強もしてきて欲しかったな。 今日の歯医者さんは、ただの「歯の病気を治せるおじさん」だ、とワタナベは思いました。けっして、「歯医者さん」とは認めない。 ワタナベは、鹿沼のまちに対しても、「歯医者さん」になりたいです。目に見える悪い所だけを治すんじゃない。見えないこと、先のことまでもデザインしたいです。   
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今年最後に思うこと。

こんにちは。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。 もうすぐ今年が終わります。皆さんにとって2006年はどんな年だったでしょうか。僕にとって2006年は「出会い」の年でした。旧鹿沼宿の町並み研究を始めたことで、鹿沼のたくさんの方と出会い、話し、想いを共感できた年でした。またその出会いから、さらに出会いの輪が広がり、他地域の方々とお知り合いになることができました。 そして一番大きな出会いは「鹿沼との出会い」だったと思います。4年前までは何気なく生活を送った鹿沼でしたが、今年一年で鹿沼への見方・考え方が一変しました。 それは、4年間横浜の大学に通い、建築やまちづくりについて学んだ、つまり外から鹿沼を見つめ直したことで、鹿沼の性格やその良さを実感することができました。今年はその実感が非常に大きかったです。 今日、ワタナベの心に強く残った言葉があります。ワタナベのよく聴くバンド、THE BACK HORNのギタリストが綴った言葉です。  「駅のホームに白いハトが迷い込んできて、誰かの残飯をあさっていたよ。 確かに今日はいい天気で、もう少しで今年も終わるけど、 本当は何も終わらせていないままだ」  町は次々に更新され、目まぐるしく景色が変わっていきます。高層マンションが建つことが発展でしょうか?イルミネーションで通りが飾られることが発展でしょうか?鹿沼の過去からの伝統の系譜をもう一回じっくり読み返して、続きから始めてみようよ。ワタナベは鹿沼がやり残した夢の続きをしたいだけです。 皆さん、良いお年を。そしてまた来年もその笑顔に会えることを楽しみにしています。   
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古いものと新しいもの、使える物と使えないもの。

こんばんは。今年の5月から取り組み始めた卒業論文の提出が終わった「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。もちろん鹿沼の町並み・建築について書いてきた訳ですが、まとまりも結論も、まだまだ修行不足です。情けないです。こんな自分に何ができるのか。それは「再チャレンジ」だけでしょうな。やるしかない。総理もそう言っています(でも古いですよね、この言葉)。 そんな力不足の僕に、周りの先輩はたくさんのことを教えてくれます。幸運なことにワタナベの周りには各分野のスペシャリストの方が多くいて下さっています。建築のプロ、まちづくりのプロ、コンピュータのプロ、絵のプロ、皆さん「デザインのプロ」であり「人生のプロ」でもあります。今日はそんな方々から授かったお言葉について書きたいと思います。  「新しくて使えるものと新しくて使えないもの。古くて使えるものと古くて使えないもの。 この4つに順位を付けるとするなら?」  ここで言う「使える」とは、“use”ではなくて“useful”に近い意味合いです。単に「使える」のではなく、「役に立つ」という感じでしょうか。これは鹿沼の隣町、旧今市市(現・日光市)でお会いした、建築・まちづくりの専門家の方から問われた言葉です。 ワタナベのその時の答えは以下です。  1.古くて使えるもの 2.新しくて使えるもの 3.古くて使えないもの 4.新しくて使えないもの  「使えないもの」は論外なので、「使えるもの」が上位にきて当然だろうと思いました。 でもその方の答えは、以下でした。  1.古くて使えるもの 2.古くて使えないもの 3.新しくて使えるもの 4.新しくて使えないもの  ワタナベ答案の2位と3位が入れ替わりました。「新しくて使えるもの」より「古くて使えないもの」の方が優れているというのです。これはですね、今でも考えるのですが「これだ!」という答えが見つかりません。これからの勉強の中で見つけていくしかなさそうです。 皆さんはどう思います?   
冬至とかぬま。 
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21年目で気付いたこと。

こんにちは。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」のワタナベです。 最近、横浜でも寒さが強くなってきましたが、鹿沼ではどうでしょうか。カラッした日に見える古賀志山は今日も鹿沼を見守っているんだろうと思います。 ところで鹿沼ぶっつけ秋祭りに参加して早2ヶ月。21年を生きてきて、初めて「若衆」として祭りに参加し、“内側”から鹿沼の伝統を感じることができた日。何もかもが初めてで、戸惑い、戸惑い、戸惑い・・・。屋台のひき方、それぞれの役割と関係、規則、スケジュール、お囃子、提灯への火付け、ぶっつけ、たくさんの引き継がれた伝統がありました。 対して、現代ならではの部分も多く見られました。屋台に乗る金髪若者、シャレた新しい通り沿いの建物、屋台パレード、統制されたぶっつけ、流れ込んだ新しい要素が見られました。 今までだって、きっとそうやって祭りは変わってきたんだと思う。賛否両論ありながら変わってきたんだと思います。でもなんでなのかな、悲しい気持ちもありました。仕方がないと思いながらも切ない気持ちが。 きっと今までは変わりながらも、今宮礼祭は鹿沼の今宮礼祭だったのだと思います。変わりながらも鹿沼の中で鹿沼らしく、鹿沼のことを忘れない鹿沼の祭りだった。そして参加者、町並み、いろいろなことが一緒に同じ場所で変わっていたのだと思う。(言葉にするのは難しいな、これは) 今はどうなのだろうか。楽しく騒ぐことも大切だけど、観光客が喜ぶことも大切だけど、危険が少ないのも大切だけど、何かを忘れているような気がする。ちゃんと鹿沼を見つめて、鹿沼の伝統を見つめていれば、こういう形にはならなかったんじゃないかなと。それぞれがバラバラの方向を見てしまっているのだと思う。 ワタナベが参加させて頂いた町内は、とっても温かく、昔ながらの仕来りの息づく素敵な“チーム”でした。本当に楽しかった。みんなが同じ方向を見て同じ理想に向かっている気がしました。普段は近所のオッチャンなんだろうなぁと思える人も、本番となると目がキリッとして男前になる。そしてとっても楽しそう。 やっぱり鹿沼には他に誇れる歴史がありました。そしてそれが今でも生きている。これを大切にしないで、どうして鹿沼の豊かさを語れるのかなって感じた祭りでした。 この鹿沼の秋祭りが「今と昔を繋ぐ素敵な行事」となることを想いながら、活動は続いていきます。   
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活動の発端といえば。

こんにちは。今日は大学に缶詰状態で卒論の追い込みです。そう、『旧鹿沼宿の町並み調査研究』です。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」に取り組むきっかけになったのも、この卒論を始めたことがきっかけにあります。今日は、なぜに私ワタナベが歴史的建造物に目覚めたのかを書きましょうか。 そもそも「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」とは、栃木県鹿沼市の旧市街地に残る歴史的な建造物(この活動では戦前のものと定義)を大切な資産の一つと捉えて、まちづくりに活かしていきましょう、というのがスタンスにあります。 もちろん、「古いものは大切だ」とか「歴史を活かしましょう」といくら唱えてもダメで、それを論理的に立証させて示さなきゃいけない。鹿沼旧市街の歴史的な建造物はこんな風に重要で、残すことにこういう意味があります。なのでそれを活かしてまちづくりをしませんか、と。そうすればこんなメリットがあって、私たちの生活はこういう風に豊かになりますよ、という具合にです。 それを示そうと試みているのが、今の卒論です。この卒論、もしくは来年度進む大学院での修論で、「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」で訴えていることの学術的な裏付けを取って、活動の意義というか、「歴史的建造物を活かしましょう」ということの説得力を高めたいんです。 じゃあ、そもそもなんで歴史的な建造物に興味を持ったのか。そのきっかけは大学3年秋の設計の授業でした。 神奈川県浦賀市の旧造船所のドッグの活用案を示す課題でした。ワタナベはその巨大空間と豊富な自然環境を取り込む図書館に改修する案を示したのですが、一人の先生に「なんで図書館なの?図書館でなきゃいけないの?」とつっこまれました。その場で「図書館でなきゃいけない」理由も出てこなく、黙ってしまったのですが・・・。 結局、僕がそのとき何を感じたかっていうと、建築計画でもまちづくりでも何でもそうだけれど、その場所でしかできないことをやらなきゃツマラナイということを学んだんです。 そのことが悔しくて悔しくて。じゃあ卒論ではまず自分の生まれ育った場所と向き合って、とことんその「場所」を知ろう。その場所が重ねてきた歴史の重層は世界でたった一つだし、それと向き合えば、自然とその場所でしかできないことが見えてくるんじゃないのかなと考えたんです。この考え方でいけば、浦賀ドッグも図書館でなく、他のプランが示せていたのだと思います。 そんな背景で卒論に取り組んでいる訳ですが、提出まであと2週間。鹿沼と向き合い、時に笑い、時に泣き、毎日勉強することばっかりです。先は険しそうです。  
先日の実測調査での一枚。 この鬼瓦一つからも、職人さんの想いや、住まい手の願いが感じ取れるような気がしてます。 
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始めてみよう、かぬま通信。

こんにちは。「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」代表のワタナベです。 この活動を始めて早7ヶ月、鹿沼をはじめ県外の方々と知り合うことができ、また支えられて今に至ります。感謝です。 さて、今回「かぬま通信」なるブログを立ち上げる運びとになりました。 活動ホームページを開設して2ヶ月。その中で感じたことは「来て下さった方々と少しでもコミュニケーションをとりたいな」という思い。一方通行じゃつまらない。ということで「かぬま通信」。(でも“通信”って一方通行じゃ?ま、そこはおいといて) そして、「かぬま通信」ではホームページと違って、わたくしワタナベが日常の出来事を通して鹿沼のまちづくりについて感じたこと、考えたことを綴りたいと思います。そう、もう少し私的なことをお届けしたいなと。そんなわけで「かぬま通信」です。 もちろん、ブログですので来てくださった皆様、コメントをお待ちしてます。「それは違うだろ」「そうだそうだ、そのとおり」なんでも結構です。足跡を残して頂ければと。 これからも「旧鹿沼宿歴史を活かしたまちづくり計画」は、たくさんの方を巻き込み、たくさんの想いを吸い込み、大きな流れをつくりながら、歴史ある鹿沼(鹿沼にしかできないまちづくり)を目指した活動をしていきたいと思います。 それでは「かぬま通信」、はじまりはじまり。   
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