上田町の十二社神社

上田町に十二社という社があります。 日光二荒山神社の分社である今宮神社よりも歴史は古いを言われています。  
これは去年の秋に撮影したものです。 社の脇のイチョウが観音様に見えませんか?写真右を向いて、手を胸の前に上げているような。(神社に観音様はおかしいですが)  この十二社神社の社の向きについていろいろ考察がされています。 江戸期以前と現在ではその向きが変わっているんです。  
これは江戸の文化年間に描かれた絵図です。 社は南を向いています。  次に大正時代の絵図です。 
この頃には社は東を向いています。  神社は東もしくは南を向いて建てられることが多いようですが、 北、西向きも例外的に存在するようです。  この十二社神社の向きが変わったのはどうしてでしょうか。 
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共有するまち


水路沿いに住宅が並んでいる戸張町の風景です。 一見するところ、写真右側には5軒ほどの住宅が並んでいますが、不思議なことに石塀は一続きになっています。 複数の所有者が一つの塀を共有しているのです。 誰が?同時に?話し合って?この塀を据えたのでしょう?  この写真でもそうです。  
どこからどこまでがどのお宅?  近年区画整理が行われた旧市街では新しく建てる建物を旧宿場町らしく切妻屋根の妻入り形式にしましょう、とか、外壁の色を調和させましょう、とか、景観誘導の取り組みもあるようです。 でも、古絵図で見る限り、切妻屋根の妻入の建物なんて殆どないし、そんな風にしてつくられた町はどうも安っぽい。  そんな現状に比べても、最初に見た「共有する塀」の方がとっても町に溶け込んでいるし、近所の繋がりも強そうに見えます。 
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瓦は青空に映えますネ。 波のように迫りくるようです。   
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路地の主

下田町のとある住宅を調査させていただきました。  外寸を採っていると、 「おい、おれの庭でなにやってるんだヨ」 と声をかけられました。  振り返ると足下に美人な猫くん(ちゃん)が座っていました。   
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「大谷石類似石」と括られる石

大谷石は全国的にも有名な凝灰岩で、産出地である栃木県はもちろん全国で建材として使用されています。 大谷石の中にもさらに種類が分けられますが、一般に「大谷石類似石」もしくは「大谷石」として認知されているようです。  鹿沼の古い蔵や塀に用いられている石材は、厳密には大谷石ではなくて、深岩石という「大谷石類似石」です。 (深岩石については以前の記事をどうぞ)  深岩石の他に、板橋石というものもあります。これもいわゆる「大谷石類似石」として認知される、日光方面によく見られる石材です。  今日、これらの石材の研究論文を書いた後輩に深岩石と板橋石をもらいました。  
左が深岩石、右が板橋石です。 茶色の節(ミソ)が多い深岩石に対し、板橋石は真っ白です。  
写真左側:深岩石の蔵  
板橋石の蔵  こんなにも雰囲気が変わります。 荒々しい深岩石と繊細な板橋石です。  ちなみに後輩の研究では板橋石は、大谷石や深岩石に比べ組織が微細で圧縮強度は約2倍でした。 
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栄町の防犯灯

写真は栄町の大通り沿いの様子です。 大型スーパーやファミレスの建ち並ぶ、いわいるロードサイドの商店街。  ここは歩いている人も全くいませんし、車が走っているだけ。そこで地元商店会が防犯灯として街路樹に電飾を巻き付けたのですが、これが正直、電飾の量の中途半端さに冬の寒さが加わり、とても寒々しい印象です。巻き付けられた街路樹もこれでは可哀想です。  これで防犯性の向上と言えるのかも疑問です。 防犯に重要なのは「人のいる気配」ではないでしょうか。通り沿いの住居から灯りが漏れていたり、夕飯の匂いがしていたり、もちろん人が歩いていたり。決して電飾で解決できる問題ではありません。  防犯への手放しの対策が、逆に寒々しさを助長しているのが残念です。   
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春ですね

まちを歩いていると、なんとなく空気の匂いが変わったことに気付きました。もうすぐ春です。   
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おもてなし

今日は「お宅様の住宅を調査させてください」というお願いに旧市街を回りました。 もちろん、断られてしまうこともありますが、今回伺ったお宅の方は、電話連絡を前もってさせていただいただけの急な訪問にも関わらず、快く座敷に迎え入れてくださりました。 今日は簡単なご挨拶のみでしたが、後日、室内の案内と外観のスケッチくらいなら、とお許しいただき、簡単な調査を行うことになりました。 急な訪問にもお宅に他人を上げるということは、毎日のお掃除など、丁寧に住まわれているのだろうなぁと感じます。 実際、今までに伺った歴史のあるお宅ほほとんどが整理整頓が行き届いていました。 柱や床などの木部はしっかり磨かれており、美しい艶が出ています。 そういう、ものを大切に使う住まい方は本当に豊かで美しいと思います。  
末広町 清林寺 
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下校道がなくなっていた

以前の記事でも書きました、鹿沼旧市街と宇都宮をまっすぐに結ぶ古峰原宮通りの新道事業です。
この付近には僕の母校(中学校)があるのですが、当時毎日使っていた帰り道がこの事業により無くなっていました。あぜ道や水路脇や路地をくぐるとても雰囲気のある帰り道だったのですが。
残っているのは住宅がぽつんと一つだけです。


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旧ジャスコ、解体しています

昭和の末から平成の始まりまで営業し、多くの人で賑わった旧市街の中のジャスコ。
閉店して10年以上、廃墟のまま放置されていましたが、ようやく取り壊しに入りました。旧市街に無理矢理に押し込まれたような巨大なボリュームが消えようとしています。
鹿沼市は、大型バスも入れる駐車場を備えた「道の駅」のような広場を計画しているようです。


一昨年のジャスコの様子


現在のジャスコの様子
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路地は猫くんの散歩道

鹿沼の旧市街にはたくさんの路地があります。
曲がりくねったり、狭くなったり、広くなったり、行き止まったりします。
植木などの植物が置かれていたり、ご飯のいいにおいがしてきたりします。
家と家との窓が向かい合って、奥様同士で路地を挟んでお話をするなんてこともあります。
路地は近所付き合いの大切なコミュニケーション手段なのですね。
もちろん、猫くんにとっても大切な生活道路です。大きい通りは車が走って危ないものね。


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これからです

鹿沼市より、歴史的建造物調査に対する後援をいただくことが出来ました。
これで調査研究が円滑になっていくといいなあと思います。


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竣工は始まり?それとも終わり?

去年、取り壊された建物です。
戸袋や雨戸の焼けた杉板の色合いがとても美しいです。建てたときが始まりで、長い年月をかけてだんだんと味わいが増していったんだろうなぁと感じます。
建てられたときがピークで、だんだんと汚れて、美しいとは逆の方向にいく建物も最近では多いように感じます。


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これからの動向が気になります

以前の記事にも書きましたが、鹿沼の旧市街を貫く古峰原宮通りの拡幅事業は、もう仕上げ段階に来ているようです。
立ち退きを迫られた道路沿いの住宅はほとんどが姿を消し、セットバックしたのち建て替えが完了しています。が、工事が完了しようとしている今なお、一軒だけ立ち退きを拒み、そこで生活を送られているお宅があります。
高齢者にとって、住まいの立ち退き・引っ越しはとても労力のいることです。また、長年その場所で生活をしてきたことを考えると、その場所を離れることはとても寂しいことのように思います。


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新鹿沼駅の目の前です

東武新鹿沼駅前の建物で工事が行われています。
駅前ロータリーの整備において、この建物の南側土間部分が削られるのです。ここまで見る限り、この土間部分を解体するのみで、建物全体を取り壊す様子はないようです。
扇形の開口部があったり、よくみると至る所に可愛らしい仕掛けがあります。


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旧市街の魅力は

それは何と言っても、どこからでも見える日光連山ではないでしょうか。


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2008年のはじめ

2008年もあっという間に1月後半戦です。
先日、鹿沼郊外にある祖父の家(大正建築の農家)から、いらないから持っていっていいよと言われていた、木の収納を自宅に貰ってきました。
埃だらけで、訳の分からないシールが貼ってあったり、ガラクタがたくさん入っていたのでそれらを片付け、整理し、実際に使っています。
捨てられてしまいそうなボロッちいものでも、ちょっとの手間で素敵に蘇ります。


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ありがとうございます

2007年も今日で終わり、明日から2008年が始まります。
2007年にたくさん偉そうなことを言いましたが、2008年は一つでも多くそれを実行できるよう頑張ります。調査、たくさんします。
2008年が2007年より少しでも素敵な年になりますように。


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新しいホームページ

新しいホームページが出来ました。いやいや、完成したと言うより、これから作っていかなくてはならないホームページです。ゆっくり充実させていくので、どうぞお付き合いください。

かぬま建築アーカイブス


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職人さん

鹿沼の大正時代のとある住宅を調査していますが、その中で栃木市の左官屋さんにいろいろ相談に乗らせていただいています。
相談に乗っていただいていると言っても、職人さんはまだ鹿沼の住宅を実際にご覧になった訳ではなく、写真や図面などを見ていただきご指導いただいていた訳なのですが、今日、「現物を見に行くよ。」と言っていただいたのです。
これまでいくつかの職人さんに協力いただけないかとお願いをしても、相手にしてもらえなかったりスッポカされたりと思うようにいかなかったのですが、この職人さんは「現物も見ずにいろいろ言うなんてそんな無責任なことできないよ」ということで、わざわざ1時間離れた鹿沼に足を運んでくださるとおっしゃるのです。あまりの嬉しさと突然さで言葉を失ってしまいました。
「机上では何にも進まない」「答えは現場に」
そんな姿勢を学ばせていただきました。ちなみに今日はその職人さんの現場にお邪魔して、お仕事の様子を見学させていただいていました。


本文とは関係ありませんが、鹿沼の街道沿いのとある住宅の2階
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広く、まっすぐに

上野町交差点にて新道の工事が始まっています。


宇都宮から鹿沼市内に向かう際、これまでは上野町交差点がT字路のため迂回をしないといけませんでしたが、これからは宇都宮からまっすぐ鹿沼市内に抜けられるようになります。(下記の地図を参照してください)

鹿沼街道は交通量も多いので、この工事による動線の変化はまちにも大きな影響を与えそうです。これまでの迂回路に店を構えた方たちはどうするのだろう。


GoogleMapより

こういうとき、以前東京の大学の先生がつぶやいた言葉が思い出されます。
「広くてまっすぐな道が車にスピードを出させている」
「小学生の列に突っ込んだ事件だって、やたらに道を整備するからだよ」

歩行者と車がぶつかりそうになるくらい狭い道の方が速度がでなくて安全なのではないだろうか。この類いの工事で本当は誰が得をしているのか。そこをもっと考えなくちゃいけない。
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少しは成長したのでは

ちょうど1年前の今日、撮影した写真です。
住宅トンネルの向こうに鹿沼ケーブルテレビのNさんが写っているから、この日は僕の活動を取材してくださっていた日です。あれからもう1年です。
たった1年で鹿沼のまちはとても変わりました。調査したかったお宅もいくつも消えました。これからもこの変化は続いていきそうです。
今日は建築家・篠原一男先生の言葉を紹介したいと思います。篠原先生は紫綬褒章も受賞された東京工業大学の名誉教授。去年2006年に亡くなりました。

「伝統は創作の出発点でありえても回帰点ではない」

この1年で僕が体得してきたのも、この言葉に尽きると思っています。
古いものを否定するのも肯定するのも「古いものをよく知る」までは同じであっていい。新しくてカッコいいことがしたいから、これからも鹿沼の今までを研究していきたいと思います。


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包まれているような居心地

今日は旧市街のとあるお宅のお庭に入れていただきました。
庭といっても、観賞用のただの庭ではありません。町家特有の、店部分や蔵、倉庫、トイレ、風呂などを繋ぐ役割を持つ庭なので、建物に入れなくても、この庭に入るだけで当時の暮らし方や生活の様子がなんとなしに見えてきます。
このお宅は江戸後期〜明治初期に建てられたもので、ほとんど当時の様相がそのまま残されています。店部分と裏手の蔵や井戸を結ぶトロッコ跡なども残されており、僕には未知の世界でした。簡単に建物と敷地の配置図をスケッチ、写真も撮らせていただきました。

最近は、今回のように古いお宅の敷地に入れていただくことが多いですが、一つ気になっていることがあります。それは足を踏み入れたときに感じる「包まれる」あの感じ。
今回のお宅は、塀、隣家が敷地を囲み、母屋や蔵が庭を囲み、更には建物の壁が居室を囲みます。この入れ子状の段階的な空間の作り方が、僕に「包まれている」感覚を与えているようです。
これは先月僕が訪れた韓国の河回村でも感じました。河回村は16世紀の様子が生の姿で残っている村で、農業を生業とする小さな村です。建築家の中村好文先生も指摘していますが、河回村の名前が示す通り、川が村を囲み、塀が敷地を囲み、建物が庭を囲み、壁が居室を囲みます。ここでも「包まれている」感じを味わいました。

この「包まれる」ような空間。都市部の狭い敷地を広く使う工夫であるようにも感じます。


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大好きな中華料理屋

最近、小学生時代から好んで行っていた近所の中華料理がつぶれた、という話を今日聞きました。僕は「あぁ、あそこもいよいよか」と思いました。
その中華料理屋は鹿沼環状線沿いの西側に店を構えていて、人気店としていつもお客で賑わっていました。しかし2年程前に環状線の陸橋化(JR日光線との踏切での渋滞を解消するため)がされ、その中華料理屋は陸橋のちょうど中央の下辺りに隠れてしまいました。お店からすれば東側のすぐ上には片側2車線の巨大な塊が降ってきたような状況です。それまで、通りからよく目につく立地だったのが、車の流れが陸橋に流れることで、この中華料理屋の前を通行する車はなくなりました。
それからというもの、この中華料理屋の賑わいは以前と比べると少なくなりました。常連さんしかこないお店になったのです。(皮肉にも、陸橋化の工事期間中は工事業者で賑わっていました。)
おそらくこの中華料理屋の主人も、この陸橋化の計画はだいぶ前から知っていたのだと思います。お店の場所を移すなど、いろいろな対策の打ちようもあったのだと思います。でもその場所でなきゃならなかったのではないでしょうか。その場所で中華料理屋をやっていたかったのだと思います。
その人にとっては大切な場所だったのに、あまりにも大きな力であっという間に変貌させてしまうこと。分かりやすい便利さの裏には、たくさんの人の犠牲があることも感じなくてはなりません。その道を走る車からはそんなことはちっとも感じられません。よく考えるとそれはとても怖いことだと思いました。ちなみに僕自身もその陸橋を毎日走ります。


以前は環状線として大変交通量の多い道でした。今は人も光もなく、暗い雰囲気です。
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お土産

1年前の鹿沼のまち歩きで偶然知り合った、旧市街にお住まいのご夫婦がいらっしゃいます。
今日、「わたなべ君、調査させてもらえそうな古いお宅があるからいらっしゃい」とお声をかけていただき、早速、久しぶりにご夫婦に会いに行ってきました。
調査させていただくお宅の方を紹介していただき、帰りに「お茶でも飲んでいきなさい」とお誘いいただいたので、お言葉に甘えご夫婦のお宅へお邪魔しました。
このご夫婦のお宅も古い。おそらく大正〜昭和初期のものだろうと推測されます。そんなお宅でお孫さんのお話や世間話をしました。
このご夫婦のように、旧市街の方達は僕に優しくしてくれます。歓迎してくれます。活動を応援して下さります。何かお返しができるといい、と思います。
ご夫婦から帰りにお土産を頂きました。とても可愛い袋。近所のパン屋さんの袋だそうです。


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栗拾い

あまり関係ありませんが・・・。
栗拾いにハマっています。
夏が終わり、栗が落ち、栗を拾い、皮をむく。
陽が昇れば起きて、窓を開ける。陽が沈めば家に帰って、ご飯を食べる。
雨が降れば洗濯物をとりこんで、窓を閉める。
あまり関係ありませんが・・・。
落ちて、拾って、むいて、炊いて、食べて。
こうすると心が豊かになる・・・ような気がしてます。


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おはよう

昨日の早朝の一枚です。
調査先で出会った猫くん。
人間よりもずっと短い命なのに、時間の使い方が人間よりもずっとのんびりです。


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約140年

現在、仲町の通り沿いで古い町家の取壊し作業が進められています。10月21日現在では、通りに面していた店部分の解体が終了し、裏手にある土蔵の解体に着手しようとしている段階と推測されます。
一枚目の写真は去年8月に撮影した店部分です。


表の一部に白タイルの増築部分が取り付いていますが、その内側には土蔵造りの町家が確認できます。
そして2番目の写真が今年10月13日に撮影した取壊し途中の写真です。



通り沿いの店部分が姿を消し、その後ろに金木犀や杉の生い茂っている様子が分かります。
最後に、今日10月21日の様子が3枚目。


植栽が取り除かれ、それまで見えなかった2階建ての土蔵が姿を現しました。江戸後期の建築と推測されます。約140年もの間、この場所に建ち続けているのです。江戸後期というと、鹿沼の旧市街に現存する建築の中でも最も古い部類に入ります。
そんな建物が今、まちから消えようとしています。

「人間は自分の存在を確かめるために、町や建物、風景、生涯の間に変わらないもの・そこに在り続けるものと自身を対比させている」

という言葉があります。昔の建物は今回の物件のように、人間の寿命の80歳を余裕で越え、140年くらい軽く保ちます。そんな優れた建物、町並み、風景の中で生きていた人たちは、生涯、自分の中の変わらない風景として心に持っていたに違いありません。

今はどうでしょうか。
現在の建物(木造)の寿命は約30年と言われていて、当然のように町並みは目まぐるしく変化します。離れて暮らしていた人が久しぶりに地元に戻ってみたら、まったく違う風景だった、というのはあまりに悲しいことです。地元を離れて暮らしていても、「変わらない風景」として心に持っていることは自分の存在を確認するために必要なことだと思います。

まちにとって、「何か変わらないもの」を保っていくことは、とても重要なことのように思うのです。
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思わぬ贈り物

以前に調査をさせていただいたお宅に、ワタナベの卒業論文を渡すためにお邪魔しました。そこでとても嬉しいことが。
そのお宅には小学3年生くらいの男の子がいて、調査の時にも少しだけ話をする機会がありました。今回もその男の子はワタナベに寄ってきてくれて、「上がっていきなよぉ」っと誘ってくれたのです。「すぐに次の用があってゆっくりできないんだ」と伝えると、「じゃあこれあげる」と言って、蝉の抜け殻と折り紙で折られたクワガタと手裏剣をくれたのです。くれるまえに大事そうに箱に入れていたようなので、「大事なものじゃないの?もらっていいの?」と聞くと、「あげる」と小さくうなずきました。
知らない学生が自分の家を見に来たことが相当新鮮だったらしく、ワタナベのことを覚えてくれたようです。自分の大切な物を人に送るその少年の気持ちがとても嬉しかったです。笑顔の愛くるしいとても優しい少年。


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大谷石?深岩石。

旧市街から西へ車で10分程のところにある深岩石採掘場を見学してきました。
深岩石といっても馴染みが薄いかもしれませんね。世間では大谷石の中の一種類としてくくられていて、深岩石であっても「大谷石」と呼ばれることが多いです。それもそのはず、二つは素人には見分けがつかない程よく似ている石なんです。
鹿沼の町の中には、この深岩石が使われているのを目にすることができます。蔵、塀、敷石、門柱、建物の土台。大谷石に比べて硬くて「石っぽい」です。強度も深岩石の方が大きいです。大谷石特有の「砂っぽさ」があまりないようです。

さて、話は採掘場に戻ります。
採掘現場は細く険しい凸凹山道を登った先にあります。大谷石は地下採掘が主ですが、深岩石は山の表面を切り出していきます。石山が削り取られた感じ。そのスケール感は圧倒的です。
見学時、作業員の方が切り出し作業を行っていました。機械は使いますが、そのほとんどが手作業。機械のない時代は手作業で掘り出していたのです。この巨大空間をこんなスローペースで切り出しているのだから、いったいどれほどの時間がかけられたのでしょう。当たり前に目にする石材。ですが、その裏側には職人の方々のとんでもない量の汗と努力があることを知りました。


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